人生にはチャンスが3回
何か新しいものを
つくりださなければと
気持ちばかり焦り
もんもんと過ごす日々に
光がさしたのが昭和62年
広島ならではの魚介類と
竹輪を合わせることで
新しい広島土産になるような
竹輪ができないだろうか?
ある日いつも何気なく食べている
ちらし寿司のトッピングの
刻みあなごを前に
「これこそ探し求めていたものだ!」
と出野保志は閃きます
今でこそ
あなご=広島名物と
全国の方に認識いただくようになりましたが
当時はまだまだ
地元の方だけの知る隠れた名物
しかしこのあなごを
新鮮な白身魚に混ぜ焼き上げる竹輪こそ
世界中から広島・宮島へ
いらっしゃる方々へ喜んで頂ける
広島土産になる
そう確信したのでした
何事もそうですが
まわりの助けや協力無くては
成し遂げられません
ましてや新しい挑戦など尚更です
【人生には大きなチャンスが3回ある
新商品として
あなご竹輪をつくることが
大きなチャンスの1回分だから
有無をいわず手伝ってくれ】
と保志に説得されたと
妻の美香は今でも言います
妻・美香の実家も
写真業を営んでおり
商売屋の娘として育ってきました
商売屋の酸いも甘いも
幼いころから見てきた身
旦那のいうチャンスに
自分も身を粉にしてでも
協力しようと決断します
(左/娘 出野恵梨 右/妻 出野美香)
この時
保志と美香には
生まれたばかりの娘がいたのですが
娘の面倒を見る
時間も人もなかったため
美香の実家の両親に
面倒をみてもらっていました
そうして親戚や家族総出で
協力してもらい
商品構想を練りあげ
試作に取り掛かります
しかしまたしても
製品化までは
失敗に次ぐ失敗の連続でした
仕入れたあなごに骨が混ざっている
竹輪そのものの食感が
ざぐざぐで食べられたもんじゃない
見た目がレーズンパンのように
黒焦げてうまく焼けない、、、、
当社の経営理念にあるように
愚直にお客様へ
おいしいものをお届けすることが
使命と信じているので
中途半端なものを
出荷するわけにはいきません
売り上げも下がっている
利益も少なくなっている中
泣く泣く竹輪を捨て
また新たに試作へ取り掛かる日々でした
常務さんより「昔のことが書いてあるけ読んでみてや」と勧めていただき拝見しました。子供の頃、浜町の自宅兼工場に遊びに行った時先先代社長から「マシ君食べや〜」と言って貰った焼きたての竹輪の味を思い出しました。これからも頑張ってください。
お忙しいところ拝見いただき、誠にありがとうございます!
当時まだすり身の無い時代ですから、その時の竹輪を食べて見たいなと切望します。
これからもどうぞよろしくお願い致します。