かまぼこの町・草津
練りものコンシェルジュ
「いずえり」こと出野恵梨です 💡
今週末行われる
【天皇杯 全国男子駅伝】
は広島が舞台 😆
中学生から社会人までの
選ばれし選手が
原爆ドームから宮島口間の
往復タイムを競う男子駅伝 😉
広島の人たちにとっては
間近で白熱した試合を応援できる日 😎
実はこの駅伝の復路で最後に
たすきの受け渡しをする場所が
【草津】なんです 😆
国道2号線沿いの草津にある御幸橋
(みゆきばし)
の手前で最終ランナーへと
たすきが繋げられるんです 💡
この御幸橋のたもとには
すでにこんな看板が↑
さらに御幸橋には
実はこんな絵がかかっているんです
そう!
【かまぼこ】
広島・草津が練りものの町だ
ってことがわかりますよね 😉
この間西田篤史さんも
おっしゃっていただいてましたが
昔から広島・草津といえば
誰もが声を揃えて
【かまぼこの町】
という認識だったんです!
いまの40代より若い方は
あまり知らないかな??
草津は昔から漁港や船着場
があったことから
港町として栄えていたんです 💡
かまぼこの原材料って魚でしょ??
だからかまぼこ屋も
新鮮な魚を手に入れるために
漁港のそばに工場がある場合が
ほとんど!
軒先にトロール箱と呼ばれる
魚を入れる木箱が
積み上げられてたら
かまぼこ屋か魚屋の証 😉
草津のかまぼこ屋のはじまりは
1818年と言われており
そこから激動の戦争時代も
かまぼこ屋同士協力して
耐え忍びます 💡
少ない配給の中から練りものを
つくらないといけなかったので
草津の蒲鉾組合員がひとつになり
蒲工(かまこう)と名乗り
皆が一つの工場に集結し
練りものをつくっていたんです!
「いずの」は竹輪が得意だったので
竹輪の担当として任されていました
そして昭和30年ごろには
80件前後のかまぼこ屋が
そこまで大きい町とはいえない
草津に密集して
お互いにしのぎを削ってたんです 💡
当時草津の魚市場には
【こづけ】と呼ばれる
納品書を入れる箱が並んでおり
とうちの相談役が
今でもよく覚えています 😆
しかし平成30年の今では
昭和30年と比べると
かまぼこ屋は8分の1になっています
でもね
会社の数こそ減りましたが
熱いパッションをもつ
草津のかまぼこ屋が
各会社の持ち味を多方面に生かし
日々かまぼこづくりに励んでいます 😆
広島・草津といえば
かまぼこだよねぇ〜!
と会話の中で出てくると
この人は知ってる人だな!
と目上の方から一目置かれる存在
になれるので
ぜひ会話のきっかけ
になれば嬉しいです 😆
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