私の父方の祖父は
かまぼこ屋
そして母方の祖父は
カメラマン
2人とも今は
高いところから
見守ってくれています
私の部屋には
フィルムの一眼レフがあってね
その一眼レフは
祖父が現役時代使っていたもの
学生時代
カメラやってみたいなぁと思い
母の実家にお願いをして
送ってもらったカメラ
最近全然使ってあげてないけども
大事に飾っています
祖父は
どこへいくにも
カメラを持ち歩いていて
写真を撮る側だから
祖父自身の写真は少ないんだけれども
祖父にとってもらった
写真やビデオは
山のようにあります
私が幼い頃には
祖父の家に暗室があり
暗室独特の
赤くて暗くて
ツンと鼻を突く現像液の匂いがして。
透明の液体が入った
銀色の大きなバットが何個も並び
そのバットに
ピンセットでつまんだ
真っ白の写真をつけていくと
ぼわっと
写真が浮かび上がってくる
現像できた写真は
部屋の中に
縦横無尽に張り巡らされた
ロープに吊るし乾かす
大事な仕事部屋なので
幼い子どもが
遊びで入ることはできず
何かのタイミングで
暗室に入れてもらえるのが
嬉しくて嬉しくて
言葉数の多くない祖父でしたが
いつも温かい眼差しとともに
側にいてくれて。
私が小田原へ
修行へ行く前に
検査入院をしていた
祖父へ会いに行き
2年間頑張ってくるね!
帰ってきたら
おじいちゃんに
美味しい竹輪つくってあげるからね〜
と伝えて。
その時の祖父は
飲み込む動作が痛くて
食べ物を食べられなかったので
今食べたいもの何〜?
「湯豆腐」
湯豆腐って
とびっきりおいしいもんね〜!
薬味をたっぷりのせてさー!
なんて言いながら
笑顔でサヨナラをして。
小田原での生活の様子を
休みの日にはカフェに行って
手紙を書いて報告したり
そのうち
新生活が楽しすぎて
手紙を出す頻度も少なくなっていた
ある日
母親から電話がかかり
いますぐ飛行機で祖父の家へ
来なさい。と
当日取る航空券は
なんて高いんだと思いながら
羽田から出雲へ飛び
祖父と最期のお別れ
おじいちゃんに
私のつくったとびきり美味しい竹輪
食べさせてあげるって言ったじゃん
なんでそれを食べずに
いっちゃうんだよ
食べさせてあげたかったな
とすごく後悔をして。
棺の中には
父と出野水産のみんながつくった
とびきり美味しいあなご竹輪と
鯛ちくを入れてあげた
この父の竹輪の味を
守るために
私頑張るねと
祖父と最後の約束をしました
自分のためだったら
なまけてしまう時もあるけれども
人とした約束のためには
必死になれるんだと
感じる今日この頃
日々後悔のすることの無いように
生きていきたいものですね